告白。
この響きがまず恥ずかしい。だいたい、告白という言葉は恋愛に関しない場合でも、あまりいい意味に使われていないと思う。「元警察官僚の仰天告白!」とか「学級崩壊に教師が悲痛な告白」とかそんな感じだもんな。「告白する」ということは、ろくでもないことを話すという印象がどうしてもある。最近、若い子はこの「告白する」という言葉を「コクる」なんて略して使っているが、やっぱり若い子は感度がいいから恥ずかしくて「告白」なんて素面じゃ言えないんでしょうね。
思春期を迎えると男の子も女の子も、漠然と恋をしてみたいと思う。異性(人によっては同性の場合もある)と一緒にクレープでも食べて街を歩いてみたい、自転車の二人乗りをしてみたい、あんまり詳しいことはよくわからないがとりあえず抱いてみたい、キスしてみたい、と思うわけです。人によっては鞭でいじめられてみたい、ハイヒールで踏まれてみたい、オシッコを飲ませてもらいたいと思うこともあるでしょう。とにかく、それまでは同性と遊んでばっかりだったのに、異性と遊んでみたくなるんです。
そして、その気持ちが突然、特定の人に向けられる。ぼくはそれが恋愛の発生だと思います。iwaくんと一緒に居たい、kiriさんの裸が見たいと、漠然と思っていた異性が具体化される。好きになっちゃうわけですね。この状態を日本語では「片想い」と言います。
さて、片想いまでしました。一応、恋愛の第一段階に足を踏み入れました。だけど、人間は強欲だからすぐにそれ以上のものを求めてしまいます。iwaくんと一緒に居たいと思うなら、そのことをiwaくんに伝えなければいけないわけです。このとき、行う行為を日本語では「告白」と言います。
これがひたすら恥ずかしい。
たとえば、友達として好き、と言うのならいくらでも言える。友達として嫌い、と言うよりもずっと言いやすい。なぜならば、友達は百人いて一緒に富士山でおにぎりを食べても何の不都合もないからである。
だが、恋愛感情はそうもいかない。恋人百人と一緒に富士山でおにぎりを食べようとしたら、おそらくその恋人たちに殺されるだろうし、よしんば殺されなくても、他の同性から殺される羽目になるだろう。
恋愛感情として好き、ということは、たくさんいる異性の中であなただけが特別に好きだと伝えることなのである。そして、相手にもたくさんいる異性の中で自分だけ特別な存在にしてほしいと頼み込むことなのである。
だから恥ずかしい。
おまけに、この告白に相手が必ずしも応じるとは限らない。というよりも、ぼくの体験から考えると、応じてくれないケースのほうが多い。「好きだ」と言っても「わたしは好きになれない」なんて言われちゃうのだ。恥ずかしすぎるではないか。
だけど、そうやって恥ずかしい目に遭うからこそ、恋愛はすてきに見えるんだろうなあとぼくは思うんです。