十代のぼくにとって、女性を好きになるということは、その女とやりたい、ということだった。
まだ、結婚だとか将来だとかそんなものが何一つ見えない年頃において「恋愛の目的」は、と考えると、それはもうやること以外にしかなかった。
女の子と遊びに行く。買い物に行ったり、遊園地に行ったり、プラネタリウムに行ったりする。もちろん、それはそれで楽しいことは否定できないが、だけど遊んだあとにやることができなければ、非常に寂しい思いをした。やらせてくれなければ、もしかしたらあいつはおれのことを嫌いになったのかもしれない、と悩んだりもした。やることが恋愛の目的であり、やることが「おれたちはつきあってんだぞ!」ということを確認することだと思っていた。
たとえば、ぼくたちは、男女七歳にして席を同じにするべからず、といった封建社会に育ったわけではない。異性の友達だって普通にいる世代だ。別に女の子と恋愛をしなくても、女の子と二人で遊びに行くことはできる。
だから、ぼくは女友達と二人で遊びに行くことと、彼女と呼ばれる人と遊びに行くことの違いを、やることで区別していた。そして、女性もそう思っていると信じていた。恋愛のないセックスは存在するかもしれないけど、セックスのない恋愛は存在しないってね。
だけど、実際はそうでもないみたいなんですよね。
ぼくが完全に理解しているわけでもないので断言はできないが、いままでの恋愛を考えて、女性は恋愛にやること以外のものを求めている、という感想をぼくは持っている。それが何かはぼくが女性じゃないからわからないが、「好きな男の子といつも一緒にいたい」からつきあっている子もいるようだし、「彼氏のいない自分がいやだ」からつきあっている子もいるようだし、「友達に見せるため」につきあっている子もいるようだ。
そこでいつも間違いが起こる。
男としてはやりたいから、女にやることを頼み込む。女が拒絶したら「じゃあ、なんのためにつきあってんだ」とキレる男。それを見て「男はそりゃあ、出せば終わりだからいいけど、女は受け身なのよ」と逆ギレする女、そしたら男は「女が受け身だなんて被害妄想だ」と叫んで回し蹴りを飛ばす。
ひどい話だ。
どうやら、医学的に見て性欲のピークが来るのが男の子は十代の後半にはそれが来るのに対して、女性は二十代後半まではそれほど性欲が強くないらしい。だから、このような誤解がいつも若い恋人たちの中では起こっている。
ただ、ぼくが今日ここで言いたいのは、男はいつも性欲で悩んでいると言うことを女性の人に知ってもらいたいんです。そして性欲とは、異性に惹かれる気持ちなのです。女の子が好きだから、やりたいと思うんです。
もちろん、その男の気持ちをくみ取って女性にやらせなさいというつもりはありません。
セックスによって二人の愛が強くなるという保証もありません。
ぼくだって、セックスをしたから好きになった女の子もいたけれど、セックスをしたから醒めた女の子もいました。
また、妊娠・中絶という人生を狂わすような危険があることも事実です。
だから、もっと真剣にセックスのことを考えるのもいいかなあと思います。ぼくらにとってセックスは、本能的行為ではあっても生殖行為ではありません。子供を作ろうと思ってセックスをしてる人はまだいないでしょうから。もっと、悩みましょう。ちょうど、恋人を作るときのように。
まあ、セックスなんてもののはずみでするんだもん、というのも真理なんだけどね。