気がついたらわたくしも年を取ってしまい(もう24歳です)、少しずつオヤジになってきました。
わたくしが自分でいちばんオヤジになったなあと思うのは、若い女の子を前にすると、気がつけば下関係の話しかしていないことです。
同世代ならまだ普通の話をすることもありますが、それこそ二十歳前後の妹分的な連中にはここ半年ぐらい、下以外の話では間が持たなくなっています。
そうやって下の話を女性にしていたら、いろいろな女性からこんなことを聞きました。
「スカトロだけは、やだな」
人前であぐらをかくのも平気、吉野屋で牛丼食べるのも平気、電車で化粧するのも平気、そんなこわいもの知らずの現代女性が、こんなコンサバティブなことを言っているのです。
みなさん、どう思いますか?
考えてみましょう。
スカトロとは、いろいろなプレイがあるけれど、わかりやすく言ってしまえば、愛する異性のうんこを食べることです。
うわー、下品だ、信じらんない!
そう言ってしまうことは簡単です。
しかし、何の根拠もなく、感覚だけでそう言ってしまっても説得力はありません。
特に若い女性は、ものごとの本質的なことを探ろうともせず「いけてる」、「きもい」の感覚だけで判断するきらいがあります。
これは大変危険なことです。
たとえば、彼女たちがいけてると思っている人が徴兵制を主張すれば、彼女たちは「いけてるあの人が言うんだから間違いない」との感覚だけで、徴兵制を支持するでしょう。「どうせ男しか兵隊に取られないんだし、きもい男が死ぬならそれもいいことだ」と思うかもしれません。
わたくしは日本がそんな世論に支えらるのがこわいです。
わたくしたちは子供の頃は「うんこ」が大好きでした。
「うんこ」という単語を言っただけで笑ってられました。
「うんこ」。それは口走るだけでわたくしたちをハッピーにさせる素敵な単語だったんです。
それなのに、大人になったわたくしたちは、日常的に「うんこ」と発言することさえためらわれています。
会社の人事部課長に「課長、最近肩こりはいかがですか?」とか「課長、持病の糖尿病は落ち着きましたか?」とは聞けるのに、同じ体のことであっても「課長、今日のうんこはどんな感じでしたか?」とは聞けないのであります。
恋人にだって、「おまえ、今日は生理なの」とは聞けますが、「おまえ、今日はやわらかうんちなの」とはなかなか聞けません。せいぜい、「お腹の調子が悪いの」と表現を濁してやっと言える程度です。
あんなに子供の頃に愛していた「うんこ」を大人の階段のぼる君はまだシンデレラさと成長しているうちに、わたしたちは「うんこ」のことを避けるようになってしまったのです。
ぼくらをいつも笑わせ、ぼくらとほとんど毎日顔をあわせてくれたのに、大人になったら忘れたふりをしているのです。
動物は、本来、うんこは嫌いじゃないはずなのです。
人間の何十倍も鼻が利くと言われている犬は、自分のうんこが近くにあっても平気で食事をします。
散歩に連れて行けば、よその犬のうんこの臭いをしつこく嗅ぎます。
人間だけが、うんこから避けようと生きています。
悲しいです。
いったい、どうして大人はこれほどうんこに対して冷たいのでしょうか?
わたくしはここでひとつの仮説を立てます。
経験上、わたくしたちは思春期を境に「うんこ」から離れていきます。
なぜなら、その頃にオナニーやセックスを憶えるからです。
オナニーを憶えるまで人間として最高に本能的に気持ちのいいことは脱糞です。
うんこが予想以上に出た日などは本当に気持ちのいいものです。
しかし、思春期を迎えぼくらはオナニーやセックスのほうが脱糞より気持ちのいいことを知ってしまいます。
たしかに、たとえばぼくはセックスをたまにしかしませんが、うんこはほぼ毎日しています。
もし仮にここで、神様かエホバ様か天皇陛下がぼくに「うんこを毎日する生活よりも、セックスを毎日する生活のどちらかを選べ。選んだほうを望み通り毎日させてあげよう」と言ってくれたら、迷うことなくぼくはセックスを毎日する生活を選んでしまうでしょう。それが本音です。人間はかくももろいものなのですね。
だけどこれでは、幼少の頃生き別れになった実の母に20年ぶりに再会して、それまで自分の子供と変わらないほど愛してくれた育ての母親のことをすっかり忘れるぐらい、人間としてしてはいけないことだと思います。
だから、わたくしたちはもう一度、子供の頃の気持ちに戻ってうんこを愛するべきです。
「うんこ」、このパワーは計りしれません。
アフガニスタン、タリバンに米軍は地上攻撃を仕掛けました。だけど、そんなものですら、うんこの前では無力な印象を与えます。
人間に本当のしあわせを与え、屈辱的な不幸をあたえるものは、うんこなのです。
うんこは、ビン・ラディンもブッシュも天皇陛下も平等に出します。
そのうんこを食べて、新しい世界を認知しましょう。
そして、犬のように自由になりましょう。