女なんてどうせくだらないやつらさ

 小学生の頃から、女子という生き物はぼくにとって敵以外の何者でもなかった。だいたいみんな、小学生のときは「女はいや」とか「男はきらい」とゆう気持ちを抱えたまま生きていたようだけど、ぼくのその感情は普通の男の子よりもずっと強かった。その頃から女子トイレとゆう場所は好きだったようだけど、その女子トイレに、隠し持ってきた花火を投げ込むほど女子がきらいだった(花火で思い出したけどぼくは花火密輸の常習犯だった。五年生のとき、ウサギ小屋に花火を投げ込んでいたら藁に火が点いて消防車を出動させたことがある。あのときはそのあと、用務員さんに一升瓶で頭を殴られた。あの日からぼくはバカになったのかもしれない)。


 たとえば、小学校には「道徳」とゆう科目がある。子供相手に人の道を説いてどうするんだと思うけど、とにかくあるのである。担任の先生の顔から三年生か四年生ぐらいだったと推測されるが、いまでもはっきり憶えているこんなことがあった。


 どこの学校でもやっていることは大して変わんないと思うけど、道徳の時間は教育テレビの道徳番組、『さわやか三組』あたりを十五分ぐらい視て、そのあとに感想文を書いて発表するような流れだった。
 はっきり憶えているけどその日のテーマは「くずれたハンバーグ」。給食の時間にひとつだけくずれたハンバーグがあって、それがクラスでいちばんおとなしい女の子の机に置かれていた、この女の子はかわいそうじゃないかい? とゆう子供の純真に問いかける内容だった。
 そんなどうでもいいものを視させられたあとの感想文の内容は大体決まっているものだ。代表的なパターンは「自分ひとりが我慢すればいいだけのことだから、わたしだったらくずれたハンバーグを食べたと思います」といった偽善者志向。いつもは人よりも少しでも大きいおかずを探している男の子やきれいな見かけのおかずを選んで配膳の列を長くしている女の子だってそう書くのである。


 ぼくはとにかくそういうキレイゴトが小学生の頃からきらいだった。だからぼくは「くずれたハンバーグなんか食い残しの残飯に見えるから、ぼくでも人に押し付けるか、もし押し付けられたとしたらぜっーーーーたいに食べないと思います」と書いたと記憶している。


 さて、感想文の発表になる。先生は、ぼくの授業の意図に反する作文を書く癖を充分に理解していたから、いくら手を挙げようともぼくに感想文の発表はさせない。ただ、これはいま考えたら小学校ってえぐいことをやっていたなあと思うけど、人の感想文を聞いたあとにその感想を言ったり質問したりする時間があったのである。ここはあんまりだれも手を挙げないので、ぼくにも発言が許されることがあった。


 活発な、先生のお気に入りの男の子も女の子も、次々に「くずれたハンバーグを自分だったら食べる」と発表している。ぼくはそのたびに質問する。
「本当にあなたは食べるんですか?」
「このあいだ、ぼーっとしてたらパンのはしっこの耳ばかりの固いところがぼくに来ました。どうしてあのときの給食当番の人は自分で食べようとしなかったのですか?」
 ただしこの、あのときあなたはこうしましたよね型の質問は、水掛け論になるのであまり効果がなかった。ぼくはただ「食べるんですか?」と訊いて、みんなが「食べます」と答えるのを、こういうことをゆっている人がゆってることとやってることの違う大人になるんだろうなあ、と思って聞くしかなかった。最後に先生が多数決を取ったら、ぼく以外の児童全員が「自分だったら食べる」と言った。


 だからぼくは、その小学生の道徳心をたしかめるために、給食当番のときに白身魚のフライ(あの悪名高いメルルーサのフライだ)の担当になった。そしてぼくは、フライをわざと力をいれてつかんで、ぐちゃぐちゃにしながら配膳をした。
「ごめん、なんか勘がつかめなくて……」
「また、力はいりすぎちゃった」
 みんな困ったような顔をしながらも、くずれたハンバーグ食べるって言っちゃったからなあって顔をしている。先生が「まじめにやりなさい」と言いに来たけれど、ぼくの不器用さは図工の時間でおなじみだったから、苦手のことでも一生懸命やりなさいの理想によって先生はあまりぼくに強くゆうことができなかった。


 そうこうしているうちに、ぼくの女子への印象を決定付ける事件が起こる。
こんな、汚いのあたし食べられない!
 と言って、一人の女子が泣き出したのだ。しかもその女子は、くずれたハンバーグをわたしだったら食べると思いますの感想文まで発表した女子だったのだ。
 ぼくはこの一件以来、女子は敵だと認識した。


 女子を敵にまわすと、学校生活は大変だ
 たとえば、掃除の時間、机を運んでくれないなんてしょっちょうである。これはけっこう、小学生のピュアな心には哀しいものだ。だから、そういうときはいつも報復として、教室の掃除当番だった女子の机を一台ずつ蹴っ飛ばしていたのだが、それをやると女子は嘘泣きをしやがって五時間目はぼくが机を蹴飛ばしたことについての学級会になったりする。女子が先におれを泣きたい気分にさせていたくせにね。


 女子は正しいことを言いたがる。そのくせ、筋を通すより、自分に得なことを優先する。
 ぼくは、こういう女子らしさをいまだにかなりきらっている。だから、たまに女性に理解がないなんてゆわれてしまう。だけど、よくよく考えて見ると「女性に理解のない」ってのもつまらない女子らしい言葉のような気がする。自分たちだってうんざりするくらいのことをやっているのに、そのことは棚に上げて「ある男子があたしたちのいやがることをわざとするので困ります」と帰りの会で言うのと似たようなものではないか。そんな女子らしさから抜け出せないような女なんてどうせくだらないやつらなんだから、こっちだってきらわれたってかまわないもんねえ。 

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