生まれてはじめての教師への暴力、それは中学一年生のときの英語の授業でした。
ぼくはこの英語の授業がきらいでした。
なぜかとゆうと例の「起立」「礼」「着席」の挨拶を英語の授業は英語でやるんですよ。日直が九州弁なまりで「すたんだっぷ」なんてゆったりしてね。
自我が目覚めかけていた中学一年生のぼくは、それが恥ずかしくてしょうがなくて、英語の授業ははじめの頃に二回ほど出ただけで、あとは保健室方面への旅人になっていました。
しかし、その旅も何度かしているうちに、何度も見つかり(とゆうより保健室のおねーちゃんにちくられた)気楽に旅人になれなくなったぼくは、たまに英語の授業に出るようになったのです。
たまに出た英語の授業、ちょうど一年生の七月頃だったでしょうか。
何かの問題を解いて発表せよ、とぼくはそのいやいや出ている授業の先生に指名されました。
若い女の先生でした。
それまで授業に出ていないから、内容は進んでいてぼくには当然、その問題が解けるはずもありません。
「わかりません」
若い女の先生をそれなりに意識している性に目覚めかけた、まだ童貞だったぼくは、口を濁らせながらぼそぼそといいました。
女の先生は、くふふ、と下卑た笑いかたをして、
「まあ、あなたじゃ、しようがないわね」
と生意気そうにいったのです。
どう思います?
若かったぼくは侮辱されたと思いました。
ぼくは、上靴を飛ばす勢いで机を蹴飛ばし、
「それ、どうゆう意味なんでしょうか?」
とその先生に大変厳しく詰め寄りました。
女の先生は、ギョッとしたようでした。
このときぼくははじめて、学校の先生もぼくらのようなものと同じ弱い人間で、脅えたりするものなんだということを知りました。
「いや、別に、そんな深い意味はないんだけれどね」
目に涙を溜めながら女の先生は、言い訳するように、自分の気持ちを落ち着かせるように、いいました。
「深い意味がなくてもぼくは深く傷つきました。あやまってください」
ぼくの思考回路は、一回きれたら間のぬけた暴走をします。
「なにをいっているの?」
ぼくの暴走ぶりを見て、生意気ゆってもやっぱり中学一年生この間まで小学生だったんだよなあ、と女の先生は安心したようでした。たしなめるようにぼくを見ます。明らかに形勢不利です。
そんなところに援軍が現れます。
普段は小学生の頃からのぼくの宿敵である、キンキラ声の掃除をしないだけで本気になって怒る学級委員の女子が、立ち上がりました。
「いくら勉強ができないからと言っても、あんな言いかたされたらかわいそうです。あやまってください」
先生のいいなりになるものだとばかり思っていた学級委員が、いきなりぼくの援軍。ラッキーでした。
品行方正まじめ一筋の学級委員にいわれれば、先生もあやまらないわけにはいかない。
そこでこの女の先生はあやまってくださるのですが、このアマ、とんでもないあやまりかたをしてくれました。
「ソーリー」
ぼくの目を見るわけでなく、頭を下げるわけでもなく、お気楽な声で「ソーリー」。
再度お尋ねします。どう思います?
いくら英語の時間とはいえ、許せなくなりました。
ぼくは、女の先生の女の匂いが嗅げる位置まで、女の先生に近づきました。
性に目覚めかけており、変態気味にフェティシズムな少年だったのでこのときのことはよく覚えています。
匂いもよく覚えています。
ちょっと雑談ですけれど、このときぼくはこの女の先生の匂いを、小学校の給食室の臭いに似ているな、と思いました。それがどんな匂いなのかとゆうと、玉ねぎを炒めたような臭いと申しましょうか、いま思えば、単なる腋臭の匂いですね。
人間、恐怖を前にすると手と腋の下に汗をかくといいますよね。七月とゆう季節も関係していたかもしれないけれど、ひょっとしたらあの先生、かなりびびっていたのでは。
腋臭まで伝わる至近距離なのに、ぼくは大声で抗議しました。
「ソーリー、とはどうゆうことでしょうか。ちゃんと自分の言葉で、普段使っている言葉であやまってください」
若い女の先生は、ぼくを相手にしようともせず、教科書を手に持ちました。
「しつこいわね、あやまったじゃないの。早く席に戻って」
三度目の質問。どう思います?
仏の顔も三度までといいますが、まだ仏じゃないぼくは三度目の我慢ができず、堪忍袋の緒をきりました。
「えっらそうに。いい気になるんじゃねえよ」
まず、笑いながら独り言のようにそうゆうと、ぼくはすぐに女の先生の襟元をつかみました。
ガクガク震えているのが手を伝わりわかります。
そして、まだうら若い女の先生の左頬にグーでパンチを入れました。
ぶしっ。
鈍い音が静まった教室に広がります。
ぼくの鍛えられることを嫌う柔らかい筋肉では、この女の先生の顔に傷を入れることはできませんでしたが、心には充分深い傷が入ったと思います。
その証拠に彼女は教壇にへたりこみ、下を向いて泣き出しました。
いま考えれば、ここで止めとくべきでしょうが、中学生の若い怒りはパンチ一発じゃおさまりません。
うずくまって泣いている女の先生の白いブラウスに、黒板消しを力いっぱい投げつけました。
様々な色のチョークの粉が花火のように、女の先生のブラウスに広がります。
それから、そのチョークの粉がブラウスに残るように湿り気のある雑巾を投げつけました。
最後に髪の毛に鼻水交じり(口から鼻水を出すのは誰でもできるでしょ)の唾を吐き、鞄も持たずにダッシュで教室を出ました。担任や体育教師にめったうちにされないためにです。
学校の外へ逃げ出したとき、変な充実感がありました。
自分より立場が上の人間をぶん殴るのは、楽しいのだということを、ぼくは教師への暴力から学びました。