学ぶべき女性の魅力

 マクドナルドでバイトをしている友人から聴いた話だが、混んでいるときにカウンターでメニューを選び出すのは女性客のほうが多いらしい。
 もちろんこれは、正確に数えたわけではないだろうし、ましてやああゆうお店は女性客のほうが圧倒的に多いだろうからなんともいえない話だけれど、ぼくはなるほどなあ、と納得した。少なくともぼくの二十数年にわたる人間としての生活上の経験としては、そうだろうなあ、と思ってしまうのである。


 男がマクドナルドへ行った場合、ぼくも含めて、カウンターからつづく列に並んでいるときにはすでに壁に貼ってあるメニューを見て準備を進め、店員のおねえちゃんが焦った声で「ご注文をどうぞ」と話しかける頃には充分にご注文を検討しご注文についての結論をだしているものである。
 けれど、女性の場合は、並んでいるときには隣の列の進み具合をじっとにらみ、マーフィーの法則のごとく自分より遅くきて隣の列に並んだ人が自分より早く店員のおねえちゃんにご注文をいっているのを見つけてはきーっと威嚇し、自分より早くきているようだけど運悪く並んだ列が進みが悪く、自分があと三人のところまできているのにその人がまだあと五人のところで足踏みしているのを見ると勝ち誇った顔でにらんだりしているのだと思う。それだもんだから、ご注文を検討する暇など女性にはないのだ。そいで、ふと前を見ると機械的な笑顔の店員のおねえちゃんがあらわれ「ご注文をどうぞ」なんていってくるから、カウンターに置いてある下敷きのようなメニューをしげしげと見つめ、これから摂取する食物についての考察を重ねている。それもあわてずにやるのが女性である。 男は店員のおねえちゃんに気を使うのだけれど、女性は自分のペースですべてをしかも堂々と進める。そんな気がする。


 もちろん、その女性の考え方は正しい
 外食産業にとってお客様は神様なのである。
 神様は堂々とすべきなのである。店員に気を使って早めにご注文を検討するなんていうみみっちいことをしてはいけないのである。
 神様はなにをしたっていいのである。むしゃくしゃしたから、ノア以外の全人類を殺してもいいのである。
 そしてこういう神々しい女性は、きたるべき女尊男卑時代につつましくも亭主関白を確保したいと願う(言っていることが矛盾しているが男の理屈は矛盾してこそ男らしいのである)、われわれひ弱な独身男性が女性から学ぶべき、ひとつの女性のタイプであると思う。


 女性はとにかく、どこででもどうどうとしている。そんだけ、スキが見せられないんだ、と女性は反論するかもしれないが、ぼくなんか結構プライド高いし体面気にするほうだけれどいつもおどおどしているから、やっぱり女性が強いんだと思う。
 高校生の頃、コンビニで一四四二円の買い物をするのに一万円札をだした女性の先輩を見て、うわ、この人大物だあ、と真剣に尊敬してしまったことがある。
 しかも、普通は千円札がなくても四四二円ぐらいはあるのではないか、百円玉がなくても二円ぐらいはあるのではないか、と財布の隅々を探し、どうしてもなかったときに大きいお金を出すものだが、彼女の場合は小銭を探しもせず一万円札をだした。店員に「一万円からよろしいですか?」ときかれても、悪びれずに「はい」。
 まさに世間ズレしていない十六歳からみれば雲の上の人物のお金の使い方だった。
 ぼくのような小物の場合、一四四二円の買い物で二千円出すだけでも心が痛む
 五五八円のおつりを、レジから一心不乱に取り出す店員さんを見るだけで、本当にごめんなさい、と普段人にはめったにいわない素直なせりふが頭に浮かぶ。「二千円からよろしいですか?」なんてきかれれば自分を失い、警察から職務質問を受け任意同行を求められたような気分になる。


 まあ、冷静に考えれば正当の方法で商品を購入し代金を払っているのだから、素直になって、本当にごめんなさい、といってるぼくより平気な顔して良心の呵責もなしに一万円札を出している先輩のほうが正しいんだろうけどね。
 でも、ぼくにはなかなかその度胸がない。
 だから、女性から学ばなければならないことがぼくにはたくさんある。
 二人きりの個室で、手取り足取り手を変え品を変え授業料も取らずに女性の魅力を教えてくれる、二十歳から三十歳の間の美しい女性はどこかにいないものだろうか?

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